名所・旧跡案内 | |||
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十六柱神社(林 垣) 祭神は大己貴尊(オオナムチ)ほか十五柱の神霊を祭るというが、御神体は阿弥陀仏であるという。立派な社殿、拝殿とこもり堂を持つ。創建の昔は詳細でないが、此地在家の繁栄と共に近接諸所の神を合祀されたるものと云い、承應年間(1652〜1654)に祭祀したと伝う。『兵庫県神社誌』には境内社として稲荷社のみ記されているが、境内の左手にも、いくつかの祠があり、左から、甲子神社、行者堂、夜鳴荒神と書かれている。「夜鳴荒神」には、小さな祠が安置され、鶏の絵馬が奉納されている。 |
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隨泉寺/ 延命寺(林 垣) |
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光福寺(寺 内) 京都大本山妙心寺末であり、元和年間(1615〜1652)の創立である。臨済宗妙心寺派に属し、本尊は聖観音である。正法派の宗徳首座という僧が尼寺を寺内経谷山の麓に興された。この地を光福寺跡とも光福庵とも言い、また、この庵寺の前面の地を「古大門」と呼び、裏山を「経谷山」と名付けている。慶安3年(1650)の春に、潜林和尚がこの光福寺の初代開山として荒寺に入った。潜林和尚が病に倒れた後、江戸牛込の芳心院にあった単心和尚に二世光福寺住職に就くことを要請した。就任した単心和尚は、京極氏を檀越として迎え、寺の再建を行い、光福寺は大きく飛躍した。糸井京極家の墓所は江戸の青山海蔵寺であるが、慶安年中(1648〜1652)光福寺を菩提 |
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大師堂(寺 内) 大師堂前のバス停から直線距離2.6kmの |
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妙法寺(高生田) 京都立本寺末であり、日蓮宗にて本尊は釈迦牟尻佛である。伝説によれば往昔は西の小谷にあり、豊岡立正寺僧日順が住んでいた頃は立正院と号していたが、月審上人の但馬 |
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瑞泉寺(和 田) |
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徳林寺(竹ノ内) 丹波千ヶ畑法常寺末であったが、今は妙心寺直末となり、竹ノ内山ノ内に所在する。この寺の草創は古く、文武天皇の慶雲年中(702)に行基僧正が十一面観音を彫刻して本尊とした。 |
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光福寺の庭園(寺 内) 庭園様式は池泉観賞式庭園である。庭園の東西の距離は約40mあり、裏山の傾斜面を利用して築山とし、下部は細長い園池を設けた作庭である。築山には三十三観音を安置しており、石段や園路を利用して三十三観音を巡る形式でもあることから回遊式庭園と考えられる。 |
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床尾(とて)の三滝(竹ノ内) 「森林総合利用管理施設」の建物裏の床尾三滝への遊歩道を5分位進んだところに一の |
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不動の滝(竹ノ内) |
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らかんの滝(竹ノ内) 別名ダイゼンの滝ともいう。 |
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糸井渓谷(竹ノ内) 円山川の支流糸井川にある糸井渓谷は東床尾山、西床尾山、鉄鈷山の三山に囲まれた美 |
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甌穴(おうけつ)(竹ノ内) 河床や河岸が硬い岩盤の表面に凹凸があると、その |
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東床尾山・西床尾山(竹ノ内) 八百メートル級の起状連峰、東西二峰(東床尾山839m・西床尾山843m)あり、こう |
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糸井の大カツラ(衣木)(竹ノ内)【国の天然記念物】 糸井渓谷最奥部に立地するカツラの雄株で、推定樹齢2000年、樹高35m、枝張り東西30m、南北31mの巨木です。空洞となった主幹の周囲を大小約84本の孫木「ひこばえ」がその周囲を、旧主幹を保護するような形で林立している。「ひこばえ」の中にリョウブ、オオズミ(オオウラロノキ)の2本がくいこみ、キヅタ、イワガラミ、ツタウルシ、ツタなどが巻き、シザ類の一種ユタニワタリがいっぱいに付いている。昔、この地方の「おお日照り」に名僧を招き、この木に法衣をかけて雨乞いの祈願を行い、干害を救ったことから「衣木(ころもぎ)」とも呼ばれ神木として奉られている。昭和26年6月に国の天然記念物に指定されている。 |
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西垣六十六石佛・ 三十三観音(竹ノ内) 地蔵尊は天日槍伝説に由来する。昔、泥海であった但馬の地を、新羅の王子・天日槍命が瀬戸の岩山を切り開き、但馬の平野を開拓したとの伝説があり、その際泥がなかなか乾かないため、その地固めを祈り六十六体の地蔵を祀ったものと伝えられている。が、石仏に刻まれている年代が文政であり、文政4年(1821)全国的に流行した疱瘡・咳病・麻疹により多の人、特に子どもたちが死亡した。それを弔うため坂の下半分に六十六体の地蔵を祀ったものとされている。また、坂の上半分には、西国三十三カ所観音霊場を象徴して三十三体の菩薩像(観音)が祀られている。紀年銘に文化15年(1818)と刻まれている。六十六体の地蔵と三十三体の観音がそろって祀られているのは、但馬では唯一ここだけということである。 |
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コサカゼ地蔵(内 海) 内海コサカデ(地名)奉られているお地蔵さんです。 (体験された方の話を集計しますとだいたい約3日〜5日 |
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ざんざか踊り(寺 内) 毎年7月15日を夏祭りとして田植えの終了を神の御前に奉告し、稲の順調な生育を祈り 兵庫県の指定無形民俗文化財である。 |
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大仙塚 (林 垣) 慶長18年ごろ、村に疫病が流行し、この病魔を退散させるために、当時は高貴な人の経文のお祈りによって退けられる風習があり、村の寺の住職であった真言宗の偉いお坊様の秀恵が自らの命を生きながらにして、経文を唱えつつ、生き埋めを自ら実行されたとつたえられている。明治・大正の頃は大きな塚として五輪塔が置かれて祀られていましたが、現代は碑のみが市道馬瀬場線沿いに建立されています。 |
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竹ノ内隕石落下地点(竹ノ内) 明治13年2月18日午前5時30分頃、大きな火の玉が尾を引きながら竹ノ内1020番地 |
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